昨日のことである。
頭がおかしくなるくらい音ゲーがしたくなる衝動に駆られた。
音ゲーは麻薬だ。ある程度までやりこむと中毒症状を発し、支出を音ゲー第一に考えるようになる。昨日はフラッシュバックが起こって太鼓の達人をやりたい衝動が止まらなくなった。
コロナの時期で近くのゲーセンは閉まってるので中央線に揺られて武蔵境へ。
自宅待機の弊害のせいか、俺の私服のセンスは終わっている。
もともと上下パジャマで大学に通うくらい自分の服には興味が無かったが、自宅にずっといたせいで誰かに服を見られるという感覚を忘れていた。
黒無地半袖と短パンのヒモをリボン結びで腰に止めて外出。ゲーセンへ直行。
普段なら特に特筆することもなくゲーセンへ向かうのだが、このとき下校中の大量の高校生とすれちがった。
舗装された石畳の綺麗な道を
4~5人ぐらいのグループで話しているたくさんの学生が
集団下校かと思うほどみんなまとまって
中にはカップルもいて
みんなワイシャツと黒いズボンにベルトを締めて
マック・スタバ・カラオケ・サーティワン・ゲーセン・・・。
みんなで今日はここ行こうぜなんて言ってめいめいに色んな店に行っています。
ああ、なんてキラキラしてるんだろう。心の底からそう思いました。
隣を歩くとチラチラこちらを見ているような感覚に襲われます。実際に見ていたかは分かりませんが、この高校生たちが輝きすぎて見えるあまり被害妄想すらなぜか感じていました。恥ずかしすぎて今だけ透明になれたらななんて思いました。
その時に心の中にあった感情をここに書こうにしてもとても一言で言えるような感情ではありません。
顔も服もキモイことによる恥ずかしさ。
周りはキラキラしてるのに電車に乗ってまでゲーセンに来て課題も終わってない自分への嫌悪。
こんな恵まれた街・一緒に帰ってくれる仲間がいるという嫉妬。
そんな嫉妬してる自分への苛立ち。
色々頭がごっちゃになって、ようやくゲーセンについて太鼓を叩いても頭にあるのはさっきのキラキラしている高校生たち。
そして頭にあったのは俺が高校生の時の帰り道。
何十分もかけてチャリを漕いで、
田舎だから周りに店なんてコンビニしかなくて、
帰り道が同じ方向の友達がいないから一人で帰って、
夏は顔に虫が飛んできて、
冬は風が冷たいからネックウォーマーつけて、鼻水がついて、雪が降ったら足びしょびしょで、足感覚無くなるくらい冷たくて、学校に着いたら靴びちゃびちゃで。
お小遣い何に使ったかなあ。そうだ、ラブライブに課金して消えたわ。
それなのに目の前の高校生たちはあんなに楽しそうで。
絶対おかしいって思った。
長野にいたときは高校生同士でセックスなんて学校に1人いるかいないか、いても全く想像もつかないと思ってたけど、この時駅前で見たカップルがしてたら「ああはいそうですか」とすんなり受け入れてしまうほど何でもできそうな人たちだ。
だってスタバにもファミレスにも行ってる。ラブホにだって行ったっておかしくない。
俺にとって友達とこんな風に遊びに行くということはめちゃめちゃビッグイベントに見える。実際高校の時はそういうのがあったらカレンダーに書き込んでたし。
それなのにほぼ全ての目の前の高校生たちは帰り道に当たり前のようにその日の成り行きで色んな店に行っているわけで。
東京の人はそうなんだろうなと思ってたけど実際に目の当たりにすると羨ましさと嫉妬で早くここからいなくなりたいとさえ思った。
これを読んでもこの嫉妬は誰にも伝わんない。多分だけど。6年間俺が続けた苦痛な帰り道はここに書けないほど大きなストーリーを秘めています。
立ち漕ぎじゃないと登れない坂も、好きだった女の子が俺の友達と一緒に帰った日も、誕生日の日に嫌いな先輩に奢らされて泣いて帰った日も、薄っぺらい言葉では語れないほどぼくのトラウマになってたみたいです。
それを武蔵境の高校生を見て感じさせられました。