今回割とガチ鬱なんで、「聞いてくれないか」とタイトルにありますが聞かなくていいです。SPY×FAMILYでも見てください。
高校2年の修学旅行中に自殺を考えました。
理由としては修学旅行で一緒に行動する班が地獄だったからです。
メンバーは俺含めて5人。
一人目は徹底的に俺をハブろうと俺への当たりが異様に強いやつ。
修学旅行の2ヶ月前にあった文化祭で喧嘩し、そこからいじめられました。
俺が何か言うと「つまんね」「は?」「え、何キモイキモイキモイ」
大体こんな感じでした。こいつはKと呼ぶことにします。
二人目は典型的なキョロ充。
俺への態度を一人目のやつに合わせてるだけなのですが、一人目よりも言葉がきつい。
俺が別の友達に話そうとすると、狙ってその友達を連れションに誘います。
とにかく俺が誰か友達と話していると、大声で話をさえぎって用事を伝え俺を孤立させます。こいつはキョロ充と呼ぶことにします。
残り二人は普通の人です。
ただ、Kとキョロ充に流されてしまうところがありますので、俺と話すことは叶いませんでした。俺との仲は良かったんですけどね。
という班決めで始まった修学旅行。
行き先は沖縄でした。
まず新幹線で東京に向かいました。
新幹線の席って、席が180度回転するのですがご存知でしょうか。
つまり、3列シートを180度回転させて後ろの座席と向き合うことができるんですね。
これにより6人が向かい合って座ることができます。
なので、班員に混ざってトランプをしてあわよくば仲良くなる予定でした。
が、キョロ充が断れなさそうな他のクラスメイトを2人呼び、入れませんでした。
俺はというと・・・何してたっけ。
音楽を聴いてたか英単語帳を読んでたと思います。
そして東京に着き、飛行機で沖縄へ。
飛行機はみんな静かにしてて座席も離れていたので苦ではありませんでした。
そして到着した沖縄。
何かの展示に行っていたと思います。
ここで、よく覚えてないんですがすごくつらい思いをしました。
おぼろげな記憶だと、1時間近くずっと無視されたと思います。
俺がしゃべっても班員全員スルー。
あと、何か人間性関係のことを否定されたような気がします。
「そんなつまんそうなら飛行機で帰ったら」とか「お前いると修学旅行つまんなくなるからマジでどっか行ってくんないかな」みたいなことだったと思います。
ここで、母親にLINEをしました。
俺
「修学旅行がつらすぎる。本当に帰りたい。班行動なんだけど班のみんなで無視を決めてる。正直、俺がつらいのは何とかなるんだけどお父さんお母さんが汗水垂らして働いた数万円を無駄にして苦しい思いをしているのが耐えられない。何とかお金返ってこないかな。」
母
「それはつらいね・・・。でも、班行動がすべてじゃないんだし、楽しめるところは思いっきり楽しんで!(^_^)」
もうトーク履歴が残ってないのですが、こんな感じだったと思います。
母親からの返事が100点で泣きそうになりました。
そして思いきり楽しんでやると覚悟を決めて行った美ら海水族館。
人混みに紛れて上手いこと班から離脱し、一人で大水槽を眺めていました。
その後は美ら海のすぐそばの浜辺で、他クラスの友達と遊びました。
ここが修学旅行で一番楽しかったかもしれん。
なんせ、話しかけても無視されないどころか、「お、いわしじゃん!」と声をかけてくれて遊んでくれたんですから。
ここで落ち込んだ気分が完全に回復しました。
あと数日何とかなるような気がしました。
しかし、ここからは班で沖縄の人の家に泊まりにいかねばならないのです。
班行動以外は避けられませんでした。
ここからは本当に涙です。
まず、班に1台持たされてるカメラは俺がカメラマン役に多数決で選任されて、班の集合写真に俺が映ることは1度もありませんでした。
また、冒頭でも説明しましたが俺の発言はすべて無視か「は?」と言われるかのどっちかです。
当たり障りのない発言「綺麗~」とか「美味しい~」とかを俺が言った後は数秒の沈黙が流れてその後誰かが喋りだすという流れ。
たとえ1%でもボケ要素が含まれていようもんなら、Kの「は?」からのキョロ充の「え、てかさー〇〇じゃね?」の2連コンボで俺の発言は無かったものにされます。
なので、修学旅行中は基本黙っていました。
班行動ではないクラス行動の時とかも基本ずっと1人で黙っていました。誰かに話しかけても、キョロ充が俺の会話をさえぎり、テンション高く会話相手を奪うので。ちなみにこれは修学旅行関係なく学校の昼休み・授業・教室移動・放課後も全てそうでした。
一人だから見学に集中できるかと言われたらそうではありません。これみよがしにとKとキョロ充は私の近くで会話をして私が楽しめていないところを確認するとオーバーリアクションで見学を楽しむので、その声にひたすらイライラさせられました。
沖縄の家に泊めてくれた人も、俺に話を振ると空気が悪くなると分かってのことなのか、俺にあまり話を振らなくなりました。
でもずっと無言でいられるわけでもなく、動画撮るから何かしろよという無茶ぶりもされました。
この時の俺はまともな思考ではありません。
何をしゃべったら無視されないか。何をしゃべったら一番当たり障りないか。
そんなことを考えている人間におもしろいことができるわけがありません。
「Kはやってるんだからお前もやれよ」的なことをキョロ充に言われましたが、修学旅行の浮かれ気分でいる人と、人間を否定されいないことにされた鬱手前の人間とでは思考能力に雲泥の差があります。
言い返したい気持ちは勿論ありますが、俺が贅沢を言ったら「は?」「え、何でお前だけがそんな自由なわけ?」「うっっっざ割とガチで死んでほしい」「もういいよ4人で行動しね?」→本当に俺をいない者として扱い以後全無視。
そこから俺に聞こえない声で4人で何かコソコソ言って笑っています。ここで俺が近づく蜘蛛の子を散らしたように解散し、また無視が始まります。
なので、俺が自分から話すわけにはいかないんです。
また、こういった思考にロックがかかっている時に人間は話に入れません。
コミュ障あるあるだと思うのですが、今話している話題に何か自分は言えることはないかと考え、思いついたときにはもう話の流れが終わっていて、完全に1テンポ乗り遅れるので何もしゃべれなくなります。
当時の私も、当たり障りがなくて別におかしくなくて無理もしていないという3つの条件が当てはまるワードを考えていると、思いついたときには違う話になっていました。
本当に早くこの地獄から解放されたい。
この修学旅行が終わるまでにあと何回無視されて何回人格を否定されるんだろう。
俺以外の全員が楽しそうにしているのも相まって、何で俺だけこんな思いをしているんだ。数万円払って。数日間無駄にして。本当に悲しかったです。
そして3日目の夜。
ぼくが自殺を考えた夜のことです。
Kがぼくに「起きてる?」と聞いてきました。
この時、しゃべらないのが1番だという思考ロックに陥ってた私は返事をしませんでした。
そして、眠っていることを確認した後。
俺の悪口でしりとりをしようと言いました。
人生で一番腹が立ったのは間違いなくこの瞬間です。
目頭が熱くなり、頭に血が上り、今この場で舌を噛んで死ねたらと思いました。
Kとキョロ充で回していて、しばらくしたらKが一人で悪口をつらつら言い始めました。
そのうち言いたいだけになって俺の悪口山手線ゲームが始まりました。
そのうち悪口ではなく、事実無根の俺についての噂をその場で作り出しました。
訂正したい。今すぐ起き上がって首を絞めたい。
でも今の俺は寝ている設定。
何もできない。
何も。
というか、この数日間で言い返すという考えが完全に失くなっていました。
そのまましばらく耐えて、さすがにみんな寝ただろうという頃合いをみてゆっくりと起き上がりました。
ここで自殺という言葉が浮かびました。
ああ、朝起きて俺が首を吊っていたらみんなは驚くかな。謝るかな。
軽い気持ちでやったことを反省するかなと真剣に考えました。
修学旅行先の沖縄の民家で首吊り自殺とか絶対ニュースになるもんなぁ。
『修学旅行先でいじめを受け長野の高校生が民家で首吊り自殺!』これはインパクトある!ニュースになるし事件として実名報道されるんじゃないかな。
全国にKとキョロ充がしたことが広まるようにこいつらの行動をクラスLINEに投稿してから首吊ろうかな。
本気でこの考えに至りました。
自分の命を使ってこいつらの人生を終わらせられるなら余裕で命なんか絶ってやると思えました。頭に血がのぼりすぎていてまともな思考回路なんてなくなっていました。
いじめてきた人を殺す発想はありませんでした。殺したら最終的に悪いのは俺です。いじめられた上に俺が罪を背負う二重苦に苦しめられる理由はありません。
むしろ、班行動は24時間「死にたい死にたい死にたい」と思っていたので、俺が死んで楽になれる上にこのいじめてきた2人が今後生きづらくなるというダブルハッピーで、今すぐにでも死のうと考えました。
その時の自殺は本気で妙案だと思いました。つらくて死にたいではなく、いいことしかないので死のうだったので、思いとどまる理由がありません。
ただ、首を吊るひっかけもひも状のものも刃物も無かったのでそのまま考えるのに疲れて寝ました。
あそこに自殺できる環境が整っていたらどうなっていたか分かりません。
あの夜に何か僕のメンタルのようなものが崩壊しました。涙も出ません。感情表現全般を禁止していたのですから。
そして迎えた最終日。
もうメンタルはボロボロで、相槌しか打てないような状態でした。
しかし、お昼ご飯にメンタルがちょっと回復しました。
お昼は沖縄名物ソーキソバだったのですが、座る席が4人用しかありません。
当然5人班の中で俺除く4人がみんなで「座ろ座ろ」と言って4人席に座ります。当たり前に、俺なんて最初からいなかったのかのように。
1人席があったら楽だったのですが、4人席しかないので1人で4人席に座りました。すると、俺が座ってたところに他のクラスメイトが座ってくれました。
「座っていい?」
「あ、うん。いいよ。(久しぶりに喋って声カッスカス)」
久しぶりにできた会話に涙が出そうでした。
キョロ充は会話が邪魔できない位置にいたので、会話できるだけで笑みがこぼれました。
微笑んだ時に表情筋がちょっと痛かったのを覚えています。
以上が私の高校2年の修学旅行の思い出になります。
後日談としては、家に帰ってから泣きすぎて熱が出たことと、沖縄で撮った写真が3枚しか無かったことでしょうか。
空港のめんそ~れ沖縄と美ら海の外で他クラスの友達と撮った抱き合ってる写真と、朝焼け。
めんそ~れ沖縄以外の2枚はなぜか今も捨てられずに残っています。
厨二っぽいですが、つらいときの思い出ほど輝くと言いますか・・・。
中学の話とか、浪人の話とか資格勉強の話とか書きたいけど全部マイナスな話なんですよね。大体自殺か鬱が絡むので。鬱な話を聞きたいなんて人そうそういないのでもっと明るくておもしろい話をしたいですね。